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千葉地方裁判所 昭和34年(わ)213号 判決

被告人 野島栄二

明四四・三・二生 会社員

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実は「被告人は千葉県市川市八幡町三丁目千七百六十四番地所在、丸益証券株式会社市川支店に営業係として勤務し、顧客の委託を受け、株式を買い付けて顧客の名義に書き換えたうえ、同支店或いは本店に保護預りの手続をとり、或いは顧客所有の株式を信用取引の証拠金代用として受け取り、本店を通じて日本証券金融株式会社に預け入れる等の業務に従事しているものであるが、右任務に背き、これら株式を売却しその代金を領得しようと企て、自己の利益を図る目的をもつて、別紙一覧表記載のとおり昭和三十二年十一月二十七日より同三十四年四月二十八日までの間前記支店において、十一回に亘り、予て顧客加藤毅一ほか四名より保護預りもしくは信用取引の証拠金代用として預つた株式を、同人等の承諾がないのに、擅に、電話で東京証券取引所を通じて売却し、同人等に右株式の時価に相当する財産上の損害を加えたものである。」というところ、本件に顕われた証拠を綜合すると、被告人が右丸益証券株式会社市川支店営業部員であつて、別紙一覧表記載のとおり昭和三十二年十一月二十七日より同三十四年四月二十八日までの間同支店において十一回に亘り、加藤毅一ほか四名所有の株式を同人等の承諾がないのに、擅に、東京証券取引所を通じて売却せしめた事実を認定することができるが、およそ、背任罪は他人の事務を処理する者が自己若しくは第三者の利益を図り、又は本人に損害を加える目的を以て、その任務に背く行為をなし、その結果本人に財産上の損害を加えることによつて成立する犯罪であつて、事務を処理する者の行為は任務に背く行為ではあるがその行為は本人に対し負担した事務の処理としてなす行為であることを必要とし、その結果、本人に財産上の損害を加えた場合でなければならないのであるから、被告人の前記各所為が果して加藤毅一ほかに対し負担した事務の処理としてなされたものであるか否かの点を考察するに、後藤なつ子、加藤毅一、後藤利重、後藤進及び上西三吉作成の各上申書、金子玉樹(三通)、後藤利重及び鳥海一郎の各検察官に対する供述調書、証人金子玉樹の当公廷における証言、押収してある預り証三通(昭和三十四年領第一〇四号の一)、念書(同領号の二)、領り証一通(同領号の三)及び預り証二通(同領号の五)、被告人の検察官に対する供述調書五通、被告人の当公廷における供述を綜合すると、先ず、前記支店においては、営業部員は顧客の註文に応じ株式等の売買及び附随事務をその主要な業務とするものであるが、顧客より株式買付の註文を受けた場合には、註文に応じた「買い」の註文伝票を作成したうえ本店場電係に電話でその旨を伝え、同係をして東京証券取引場電係に指示せしめて右取引所を通じて註文銘柄の株式を買い付け、その旨を顧客に報告して代金を受領し、(代金は予め受領しておくこともある)、顧客に註文銘柄、数量とともに「買い預り」と記載した預り証を交付し、株券が同支店に送付せられて来ると、原則として右預り証と引き換えにこれを引き渡し、顧客が右株券等の保管を委託する趣旨で引き渡しを受けることがない場合には「買い預り」のまま、同支店経理部員に右株券を渡して同支店或いは本店の保管に付する手続をとり、後日、顧客の求めにより右株券の引き渡しの手続をとり、顧客より株式売却の註文を受けた場合には、註文に応じた「売り」の註文伝票を作成したうえ前記同様の方法により東京証券の取引所を通じて売却をなし、一定期間内に顧客より株券の引き渡を受けて代金の支払をなし、顧客より売却の註文と同時、或いは、註文に先き立ち、予め株券を預る場合には、その株券の銘柄、数量とともに「売り預り」と記載した預り証を交付して同支店経理部員に右株券を渡し売却までの間同支店或いは本店の保管に付し、顧客より信用取引による株式売買の註文を受けた場合には、その旨の註文伝票を作成したうえ前記同様の方法により東京証券取引所を通じて株式の売買をなすとともに、顧客より信用取引証拠金代用として株券を差し出させた場合にはこれを同支店経理部員に渡して本店に送付して保管せしめ、本店をして、右顧客の註文に応じた取引の都度日本証券金融株式会社に右株券を担保として差し入れさせて融資の方法を講ぜしめ、なお、顧客が信用取引により欠損を生じた場合において清算金の払込を右株券を売却したうえでなす意向を示したならば売却の手続をとり、その他、顧客の依頼により、盗難、火災その他の事故を防止するため顧客所有の株券等を同支店或いは本店に保管するいわゆる「保護預り」の引受事務をなすものであるところ、被告人は以上のような業務を担当する前記支店営業部員として、昭和三十二年五月頃加藤毅一より二回に亘り日本石油株合計千五百株の買い付けの註文を受け、委託に応じた買い付けを行つたうえ、「買い預り」と記載した預り証二通(昭和三十四年領第一〇四号の五、二葉)を交付し、右加藤毅一が引き渡しを受けることがなかつたところから右株券は同支店経理部員に渡して同支店の保管に付し、同年五、六月頃、後藤利重より数回に亙り志村化工株合計一万七千株その他の買い付けの註文を受け委託に応じた買い付けを行つたうえ一部につき「買い預り」と記載した預り証二通(同領号の一のうち志村化工株二千株、同千株に関する各一葉)を交付し、右株券は前記同様にして同支店の保管に付し、一部については、その後、右後藤利重より一応売却の依頼を受け「売り預り」と記載した預り証(同領号の一のうち志村化工株一万四千株、理研化学株五百株に関するもの)を交付して同支店の保管に付したが、当時、右銘柄の株の相場が極度に下落して近い将来恢復する状勢になかつたため、同人より指値或いは成行による売却の註文を受けるまでには至らないまま、外形上「売り預り」として同支店の保管に付しておいたし、同年十月頃、後藤なつ子より日本製綱株千株の買い付けの註文を受け、委託に応じた買い付けを行つたうえ「買い預り」と記載した預り証(同領号の三)を交付し、右株券は前記同様にして同支店の保管に付し、又、後藤進よりその頃、信用取引による株式売買の註文を受けて、信用取引証拠金代用として志村化工株三千五百株を受け取り、上西三吉より信用取引による株式売買の註文を受けて昭和三十三年十二月二十二日頃、新日本汽船株千株、同三十四年二月十日頃、石川島重工株二千株、同月十八日頃、東邦レーヨン株五百株を受け取つて、いずれも右株券を同支店経理部員に引き渡し本店に送付せしめ、本店をして保管或いは融資の方法を講ぜしめ以上のとおりにして加藤毅一ほかの註文或いは依頼に応じた事務を果したけれども、いずれの場合においても、加藤毅一ほかより株式売却の委託を受けていなかつたし、被告人が証券会社の営業部員であつて前記のとおりその職務の内容としては顧客の註文による株式売却の権限を有し、加藤毅一ほかの顧客より将来、適当な時機において、或いは前記のとおり保管中の株式について売却の註文を受けることがあり得るにしても加藤毅一ほかの前記註文或いは依頼中に、註文をまたずして株式を売却することまでが被告人の加藤毅一ほかに対し負担した事務の処理に含まれるとは、株式売買の実情からして到底是認し難いことを認定でき、なお被告人の前記認定した株式売却の各所為は、被告人が、前記支店においては、株式を売却するに当つては註文伝票を作成して本店場電係にその旨を伝えさえすれば、ただちに東京証券取引所を通じて売却がなされ、通常は右売却の事実を取扱店が報告書を顧客に郵送する等の方法により確知せしめるため、顧客の註文によらない売却はこの段階において発覚する筈なのであるが、前記支店が必ずしも右のような方法をとつていなかつたし、更に、又、前記のとおり支店或いは本店等に保管中の株式が証券取引所を通じて売却がなされると、保管中の株券を引き出す際、顧客より預り証を回収するのであるが、前記支店が必ずしも預り証の回収を厳格に行うことなくして、株券を保管責任者より引き出し、売却代金が支店経理担当者まで送付されしかも右売却代金は同経理担当者から容易に交付を受けられる仕組みになつていて、営業部員が顧客不知の間に、擅に、右の如く支店或いは本店に保管中の株式を売却しても、同支店内部においては勿論、顧客に対しても売却の事実がただちに発覚することがなかつたところから、当時、自身でも信用取引による株式売買をなしたが多額の欠損を生じ、その穴埋めや生活費等の必要に迫られていたので、前記のとおり当時いずれも加藤毅一ほかの委託により支店に保管中の株式及び信用取引の証拠金代用として受け取り本店等に保管中の株式につき、前記本店場電係等をしてこれを売却せしめたうえ売却代金を領得しようと企て、いずれもその都度加藤毅一ほかより売却を依頼された如く装い、その旨の「売り」の註文伝票を作成したうえ本店場電係にその旨電話で伝えて欺罔し同係をして東京証券取引所を通じて前記認定のとおり売却し前記支店経理部員を経てその代金の交付を受けたものであることを窺うことができる。

以上からすれば、前記認定した被告人の各所為は自己が勤務する丸益証券株式会社営業部員として担当する業務行為を藉りてなした違法な行為であることは論をまたないところであるが、被告人が加藤毅一ほかに対し負担した事務の処理とは関りない詐欺的手段により、右会社係員を欺罔して同会社が右加藤毅一ほかより保管中の株式を売却せしめたうえその代金を交付せしめたものであつて、

加藤毅一ほかに対し負担した事務の処理としてなしたものとは認められず、結局、本件公訴事実はいずれもその証明がないことに帰するので、刑事訴訟法第三百三十六条により被告人に対し無罪を言い渡すべきものとする。

(裁判官 高瀬秀雄)

(別紙一覧表略)

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